シンガーソングライターsetaが紡いだ物語から、映画・マンガ・主題歌が生まれたプロジェクト『マンガ家、堀マモル』。
本映画の監督をつとめた3名とも東京映画映像学校(TMS)の卒業生ということで、TMS学校長の松澤和行さんをインタビュアーにお迎えし、みなさんのお話を伺いました。
●――3人で監督することになった経緯は?
榊原――2022年の暮れに原作者のsetaさん、春役の桃果さん、監督の武さんと食事会があって。そこで何か一緒にやりましょうという話になりました。
「setaさんが過去に書いたまだどこにも公開していない物語のプロットがあるので、それを元に短編映画かMusic Videoなど制作しよう」となったのですが、それからプロデューサーが動いて、Web配信の連続ドラマを20分5話でやることになり、何話かあるので監督をもう一人入れようと。僕はその時「企画監修」というプロデューサーのような立場でプロジェクトに入っていたので、野田さんに声をかけたんです。武と野田はTMSの先輩後輩関係で、当時から交流があり、感性としては違うけど仲が良いということもあって。
そこから主演が山下幸輝さんに決まったときに、長編映画にしようと、さらに企画が進化したんです。20分5話の配信ドラマでありながら、それを一つにまとめたら長編映画になるように構成しようということで、全体を管理するチーフディレクターとして自分が入り、3人体制になりました。
●――3名の監督は、どのように役割分担されたのですか?
榊原――本作をよく見ていただくと20分5話の名残が残っていて、それぞれに「第一話、主人公○○」「第二話、主人公〇〇」…というふうに分かれているんです。でも、スケジュール的にも長編映画のような撮影の仕方だったこともあって、この日は、このシーンは、このキャストは誰々が監督をやる、というような分け方をしました。
基本的には2人が現場で各担当シーン演出をして、自分は撮影を進めるうちに変更した方が良いセリフや描写を見つけたら、その場で脚本を書き直していくような立ち位置でした。チーフディレクターですが担当シーンを持たずに制作全体を統括する立ち位置にいたので、どちらかというと「演出やクリエイティブに介入していくプロデューサー」のような立ち位置でした。
●松澤――最後に石を手渡すシーンがありますが、あれは誰の発想ですか?
榊原――脚本家の林青維さんが書いた脚本に「猿の話」や「人魚姫の話」の断片が書かれていたんです。それをもっと膨らませて物語の重要なメタファーにしようと思いました。一度自分が預かってプロットを構成し直して、石に関しても物語の本筋に絡んでいくように「これをこれのメタファーにして」など、林さんにオーダーして作り上げていきました。林さんは監督たちからの無茶なオーダーを毎回想像以上の素晴らしい形に仕上げてくれるので助かりました。
松澤――あの発想は見事だと思いました。
榊原――実は長編映画化が決まったときに、原作から設定やテーマをガラッと変えているんです。林さんにはずいぶん無茶振りをしましたが、執筆の際に大きな指針が出来て、面白い展開が作れました。見事にまとめてくれた林さんには大変感謝しています。本当に才能のある脚本家だと思います。
●――この物語で特に自分に共通した部分、重ね合わせた部分はありましたか?
野田――主人公のマモルは「ものづくり」「創作」に葛藤する主人公ですが、自分たちも映像制作という創作と日々向き合っているので、登場人物の心情や行動を自分に重ねて、「こう思うよね、こうするよね」と3人で話し合いながら作り進めることが出来ました。
武――過去に負った傷をずっと抱えてしまう人って、だからこそそれを作品に描けるわけですよね。映画や作品って基本的に自己表現で、自分の強い思いを投影できないと作れないと思うんです。マモルは、ハルを失った悲しみとちゃんと向き合うことで、過去のずっと閉まっていた記憶をもう一回開き、思い出して、いつでも思い出せる愛おしい記憶に変換したところにすごく共感しました。
榊原――監督3人とも、ものを作る人たちなので、ものづくりにおける葛藤、喜び、救いをテーマにしたら、皆が一つに向かっていけると思い、そういう設計を提案しました。
自分のデビュー作「栞」という長編ドラマが、まさに自分のはらわたを見せて作った作品で、自分はそこが原点なので、このテーマを入れればきっと3人が同じ気持ちで一つの方向に向かっていけると考えていました。
●――今回の作品で好きなシーンは?
野田――すごく好きなのは、河川敷のシーンです。出てくるシーンごとに、そこに存在する心情や目線が変わっていきます。
――どこの河川敷なんですか?
入間川です。まさに奇跡的な出会いで。いろんな川にロケハンに行ってもことごとくイメージと違くて。最後、少し遠いですけど入間川に行きましょうと、あの河川敷とは別の橋が狙いで見に行った。その橋も違くて、もう一つ別の橋を見に行こうという際に、次の橋まで車をまわしてくれるということになり、せっかくだから歩こうよ、と次の橋まで歩いた。そのときに、あの河川敷に出会ったんです。もし、車に乗って橋を見に行っていたら遭遇できなかった。奇跡です。
●大変だったシーンは?
武――大変だったのは、キャンドルイベントですね。
キャンドルアーティストの方にも来ていただいて。キャンドルが限られていたので、アングルごとに移動させたり。キャンドルを消すシーンは、エキストラの皆さんに消してもらったりと、スタッフ一丸となって撮影しました。
榊原――運動会のシーンです。12月に三浦市の海の近いところで小学生のエキストラを呼んで撮っていたのですが、寒いなか、めちゃめちゃ元気に声出してやってくれて。この子たちすごいなあと思いました。
海役の宇陽くんも最後の方は手が悴んでいましたので、カットの合間にみんなでホッカイロや防寒グッズで宇陽くんを温めていました。僕らは防寒しているけれど、宇陽くんの衣装は体操服。相当寒かったはずなのに、撮影中に一切の弱音も吐かず、嫌な顔一つせず、全てのカットをすごく頑張ってくれていました。本当にすごいなと。
●武さん、野田さん、互いの「ここが凄い!」を教えてください。
武――私はすべてのバランスを取って俯瞰しがちなんですけど、野田さんはお芝居に入り込む力がすごい。いつでも役者さんの演じるときの心情を第一に考えているところが自分は持っていない部分だと思います。
野田――
逆に、自分は入り込み過ぎてしまうんです。俳優部の心情に没入し過ぎて、俯瞰してものごとを考えられなくなった時に、武さんが「ここはこういうアングルの方がいいと思うんですがどうですか?」などと声をかけてくれて。
自分が熱しすぎた時、冷静さを持ち、見直せるきっかけをくれた武さんの目線がありがたかった。全体を見つつお芝居を整理する目がすごいと思います。
●TMSで学んだことは今の映画撮影にどのように生かされていますか?
武――映画って観ることは気軽にできるけれど、作る側の「実際どうなの?」というところはググっても出てこないし、大学時代を振り返っても、調べてもわからなかった。そもそも映画ってどう作られているのか、スタッフの役割は? 監督にどうやったらなれるの? というような本当に基礎的な部分も入学当時に教えていただけたので、すごく安心できました。
あとは、演出・カメラ・マイク・編集など、撮影に関することは一通り教えてもらえたことも大きいです。
それは会社に入ってからも生かされていますね。自分の仕事だけでなく、学校で教わったおかげで、いろんな部署の仕事を知りつつできる。それが大きい。
たとえば編集もできるということで演出や撮影の幅も違ってくると思うので。それらを全部教われたことが素晴らしかったです。
野田――私は26歳でTMSに入学しました。26歳から3〜4年かけて映像を学ぶと、現場に入れるようになるのが30歳…遅く業界に入ったことに焦りがあったころ、1年間で学べる学校があると知って。1年の間も、授業に出るというより、沢山現場に行かせていただいて。普通の学校だとできないようなことに果敢に挑戦させてもらいました。
メンタル面も役に立っています。ハプニングが起きた時に、松澤さんは「盛り上がってきたね」「最高だね」って笑って言うんです。私もその考えをいただいて、現場で事件が起きた時に「盛り上がってきましたね」「楽しくなってきましたね」と悲観せずに進めるようになってきた。松澤さんのおかげです。
榊原――一がむしゃらなメンタル。何かあってもエンタメだから、笑い飛ばして、それでも前に進もうぜ、というようなメンタルの持ち方を強く学びましたね。行動しながらメンタルを鍛えてもらった一年。様々なことをシミレーションした状態で業界に入れたので、何があってもブレずに目標を追い続けてこれました。
撮影、照明、録音、編集、ジャンルも映画、CM、ミュージックビデオ、中継、配信と一通り学べるので、いろんな仕事に対応できるし、社会に出たときの学ぶための土台づくりが1年で学べました。でも、一番良かったのは、人と人の繋がりですね。本作のプロデューサーの伊藤主税さんと知り合ったのもの在学中でしたし。彼は僕を映画の世界に連れていってくれた恩人です。
そして今、あの頃の学校の同期で仕事をするようになってきているんです。今回の撮影部にも同期が何人かいるし、撮影している伊藤弘典さんは学校の講師だし、助監督もサウンドも学校の同期や後輩たちです。
彼らとは根幹の思想が似ているから同じ気持ちで仕事に向き合っていける。これは1人で本を読んで学んだり、「映像の作り方」という動画を見たりする“独学”では絶対に手に入らないもの。この学校での出会いがなければ映画監督になれていなかったと思います。
松澤――学生のモチベーションによって年によってカリキュラムを少しずつ変えているのですが、榊原さんの年は、モチベーション高かった。学校の課題の発表会も東京国際フォーラムを借りて行ったんですよね。
榊原――自分達で宣伝して当日の会場にお客さんも呼んで、発表会の様子も自分たちで中継もしましたね。
松澤――榊原さんの初めて出来上がった作品をプレビューで観たんですよ。そしたら私、学生作品を観て、はじめてちょっと涙が出そうになってしまって。ちょっとドキドキした記憶がありますね。
あと、榊原さんは卒業生の中で一番早く映画監督としてクレジットされて、すごく嬉しかったです。
●本作を見る観客の方へ、伝えたいことはありますか?
榊原――「マンガ家、堀マモル」は、堀自身がどういう思いで創作しているのか、漫画に向き合っていくのか、という描写が続いていきます。しかし彼は漫画を描き切った後で「それでも乗り越えれないことってあるじゃないですか」と言葉にします。僕自身も作品に自身の体験で得た後悔を入れることがありますが、気持ちの整理はつくことはあるけど、それで完全に後悔が昇華すること、自分が救われたというところまでは辿り着かないんです。
それでも、創作をする際に大事に心がけているのは、自分の想いを嘘なく正直に表現すること。「こういう風に感じてもらおう」「こういう風に思って欲しい」という演出をしたことはなくて、ただ今の気持ちを脚本に込めて俳優に託して映画として表現する。
以前自作の「栞」という映画でトークショーがあった際に、「もう何度も映画は観ていますが、今回トークショーがあるから来ました」と、来てくれたお客さんがいたんです。そして「実は私もこの映画と描かれていることと同じ経験して、一度仕事をやめました。でもこの映画を見て勇気をもらい、復職することを決めて、来月から仕事に復帰するんです。そのお礼が言いたくて今日来ました」とおっしゃったんです。
僕はその方に向けて「こう感じてほしい」と思って作ったわけではないけれど、ただ嘘なく正直に自分の気持ちを表現するだけで、共感し、何かを感じ取って行動してくれる人がいる、ということに気がつきました。映画を見てくれた人が共感して、行動してくれる、それを知った時に、ほんの少しだけ自分も救われた気がしました。
長くなりましたが、「マンガ家、堀マモル」もフィクションの映画ですが、映画の中には嘘のない気持ちを込めて制作しました。なので僕らから「これを感じてほしい」ということはなく、観てくれた人がそれぞれの感じ方で、自分の体験に置き換えながら堀真守の行動に共感してもらえれば嬉しいです。
●これから先やっていきたいこと
松澤――
マンガ家、堀マモルは、実は私の話でもあるんです。堀マモル同じく、その先ストーリーを描いていかかなければならない。
私がどうしてこの学校をやっているのか。それは、私の叶えられなかった夢をあなたたちが叶えているからです。
自分は多分やれた、けれどやらなかった。でも今、自分の名前がクレジットされているのと同じくらい、あなたたちがクレジットされることが嬉しいんです。
武さん、実際に自分の名前が映画監督としてクレジットしてどう思いましたか?
武――もちろん嬉しいのですが、まだ正直実感が湧かず、ふわふわしている感じもあります。
これまでは監督に憧れを抱きながらも、本当に自分が映画監督できるのか?という不安の方が大きかったのですが、今回監督としてクレジットされたことで、もう絶対ここで頑張っていこうと決意できました。
松澤――僕の知り合いがクレジットされる。自分の人生の、その先をやってくれてるんだよね。卒業生の色んな進路を見せてくれているのが、すごく嬉しい。
私の夢は誰かしらがスターウォーズに関わること。この調子でいけばいけそうな気がしてきているの。スターウォーズのエンドロールに名前が出ていたら、感無量だね!